第4回協力の交換モデルと「囚人のジレンマ」問題

交換は協力のなかでも最もメジャーなものです。
AさんがBさんに魚をあげ、BさんがAさんに大根をあげる。
この2つの行為がセットになったものを「交換」と呼びます。

人間はなぜ交換を続けてきたのでしょうか。
協力活動には、一方的にあげる「贈与」や循環する「互酬」協力がせまい範囲で完結する「自給自足」などがあるのですが、なぜ「交換」が最もメジャーになったのでしょうか。

というわけで、「交換」を詳しくみていきます。

18世紀のA.スミスは「交換は人間の本性だ」といいました。
つきつめればすべてが自分の得になることばかりだと考えました。

しかし、無制限に交換が発生しないのはなぜでしょうか。
19世紀のC.メンガーは「交換によりその人の満足がより大きくなるときだけ」交換が発生すると考えました。

J.ロックはさらに、肉や魚のように、物はもっているとだんだん腐るので、必要なものとはやく交換したいと人は思うと考えました。

しかし、交換があくまで個人主義的な合意に基づいているかぎり、「囚人のジレンマ」などの問題を常に抱えていることになります。つまり、自己利益の追求には限界がある、という事です。

囚人のジレンマとは、別々に逮捕された盗賊が、自白すれば罪を軽くする、しかし相方の自白により罪が明らかになった場合は罪を重くする、期間内にどちらも自白しなければホドホドで釈放される・・・という状況で、はたして自白するか、黙っているか、ジレンマに悩むというお話です。

どちらも自己利益優先で動くと、どちらも損をしてしまうわけですね。

この研究は1950年代から盛んになり、さまざまなジレンマのケースが発見されました。
囚人のジレンマも、こっそり連絡し合えたり、釈放された後も関係性が続く場合・・・などなど、ジレンマの限界を変える条件がいろいろ見つかっています。そこで1970年代から囚人のジレンマのブログラミング選手権が開催され、様々なアルゴリズムが試されました。いまのところ「しっべ返し作戦」が最強のようです。

利他という行動があります。お互いに他人の得になるよう最大限に動く、という考え方です。そうすると相手の利益が最終的に自分の利益として表れるという事です。というとこは最終的には自己利益追求なんじゃないかと、いうことが書かれています。ううむ。J.アンドレオー二は他者を助けることで、「感情的満足」を得られるとしています。「自己満足」「自己犠牲」もそうであると。

利他主義は全員が利他主義なら、全面的な協力モデルになれるが、そこに1人、利己主義者がはいるとたちまち荒らされてしまうという・・・あるあるです。そのため互いの行動をチエックしはじめると泥沼であると・・・あるあるです。

さてさて、どうやったら長期的な協力関係を引き出せるでしょうか。

ロバート・フランクによると、2人で起業したレストランの例があります。

一人は経営を、一人は料理を担当する。
もし、どちらかがずるをすれば、短期的には儲かりますが
ずるをした事でレストランの売り上げが下がってしまいます。
合理的に考えると(って怖いわ!)いずれずるをするに決まっているので
早くずるをする方が得である、となるのですが・・・

そこは「アニマル・スピリット(血気)」に基づいて
感情的に,非合理に解決するのが普通だというオチがつきます。
ケインズさん、熱い漢だね!!!

結局、交換ってなんなのよを追求したのがデュルケーム
交換すると、社会的な強制力が発生すると、それによって交換が成立すると考えたそうです。

どの方法でも極限では無理があるので、人類はその間をいったりきたりしているようです。


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