コミュニティを再考するー社会問題を解決するフロンティアによせられる期待と罠を見たかもしれない

 被災地におけるコミュニティをテーマについて一席打てとのご指名がきました。そう言われてコミュニティとはなんぞやと問われてみると、人々のあつまりとか、仲間うちでつるんでとか、友達や家族のあつまり、大きく見れば町内会やPTA、市町村もコミュニティという感じがするし、はたまた地球家族や銀河連邦もコミュニティの仲間という気がします。さてコミュニティとはなんだろう。そんな折りの課題図書として頂いたのがこの本でした。

コミュニティを再考する (平凡社新書)

コミュニティを再考する (平凡社新書)

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 む、むずかしい・・・しかし知りたいテーマで、キニナル言葉がちらほら見えるので頑張って読みました。
 
 この本は伊豫谷 登士翁さんの呼び掛けで、吉原 直樹さん、齋藤 純一さんという、コミュニティに超くわしい3人が集まって。近頃のコミュニティという言葉にざわざわぞくぞくする感じを思うがままに語り合うという本のようです。

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伊豫谷 登士翁さんはコミュニティは現代が生み出したフロンティアであると「はじめに」で述べています。「無縁社会」「孤独死」「格差社会」「貧困」それらに深く関わる311、グローバル化、家族・地域の崩壊、、、不安だらけの世界から淡く期待されているのが「コミュニティ」なんだといいます。
 
まず一章目は斉藤純一さんです。
 この方は福島県生まれの政策理論の教授です。故郷の再興のために現場にきていると聞いたことがある方でした。
 今の世の中はなんでもすぐ「自己責任」になってしまって、ふつうの人はもうその負荷に耐えられない。そこでコミュニティに期待する。一方でそれを利用しようという人達もいて、例えば行政はコスト削減のための下請け組織としてのコミュニティを利用したいと考えている。
 その中でコミュニティ再生を試みるというのは厳しい面もあるのだけれど、地域や社会を荒廃させない生活を評価する仕組みがまず必要だということでした。
 
二章目は呼び掛け人の伊豫谷 登士翁さん。グローバルVSローカルという発想から,最も問題なのは「格差」だとして、なんで貧乏になりがちなのかを解説しています。そういえば安定雇用って男性のものでしたしね。社会問題を解決する方法として「コミュニティ」がヨイショされるときは何だかあやしい匂いがする。「コミュニティ」が叫ばれるのはグローバル化により人々の不安が拡大したからだということでした。
 
三章は吉原 直樹さん。311から後、コミュニティについて過剰な期待が膨らんでいるとしています。
 311の後、急激に起こった事が2つあって、ひとつは災害によって人々が階層や職業の違いを超えて打ち解け合う「災害ユートピア」もう一つは災害処理をまたとないチャンスと捉え、群がる「惨事便乗型資本主義」。実際には惨事の真っ只中にあった福島の原発周辺では、コミュニティが破壊され、避難の時のインタビューからは助け合いがなかった様子が浮かび上がってきます。
 
そして最後の対談では古き良きコミュニティはもうない。豊かな中間層はもう帰ってこないとして、コミュニティはどこに向かうのかを議論しています。たとえば、ゴミ処理場のように必要だけど目の前に来られたらイヤな施設をどこに作るか。例えば外部とのつながりを切る事はできない世界でどんな可能性があるかとか。
 
全体的にかなり難解ではありましたが、コミュニティに期待する人達の関係図が見えて来て面白かったです。